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君が代の真実

2009/09/06 14:11

 




ヲシテ文献に学ぶ~君が代の真実~




君が代は  千代に八千代に 

    さざれ石の  巌となりて  こけのむすまで

 

 

 

 




 

君が代について諸説あるなかで、わが国の国歌は、どこから生まれてきたものなのでしょう?

 

 

「ヲシテ文献」に源をたどることができるのでしょうか? 

 

 

びーちぇさまにお尋ねしました。

 

「びーちぇのヲシテのクニ」
http://julian.way-nifty.com/woshite/

  

以下に、教えていただいた内容を全文転記させていただきます。

 


以下転記 

 

 

 

キミとは特別な尊いコトハでありました。


文献中には528もあり、


最初に出てくるものを何個所か挙げてみましょう。 

 


キミガヨノ スエノタメシト  (ホ0-4)

 

ワガキミノ ヨヨニツタハル  (ホ0-8)

 

アマキミト ナツケタマハル  (ホ0-14)

 

キノミユエ キミハヲメカミ  (ホ1-15)

 

ワサオワケ キミトミタミノ  (ホ2-5)                  

           

                                 (ホはホツマツタヱ)

 

「キミ」は大変な尊い言葉で、

 

アマカミと、その皇子か、

 

そのお血筋の特に業績の秀でた方、

 

何事かあった非常時には、

 

御位をお継ぎになれるほど徳の高い方として、

 

アマカミから認められ戴く尊称であったのです。


皇子のおひとり「ハラヲキミ」のニニキネさま。


その兄ギミ「アスカヲキミ」のホノアカリさま。


「ツクシヲキミ」のホオデミさま。


みな、後にアマキミになられたのです。

 

皇子ではないけれど、オオナムチさまの


「カルキミ」「カルキミヲキナ」という讃め名もあります。


ツカルへ国移りされてからのご業績が


よほど素晴らしかったのでしょうね?

 

そして絶対にトミ、タミは「キミ」にはなれなかったのです。

 

 

現在の国歌としての「君が代」制定の始めは、


明治2年、当時薩摩藩兵の将校だった大山巌(後の日本陸軍元帥)


により、国歌あるいは儀礼音楽を設けるべきと言うイギリス歩兵隊の


軍楽長の進言をいれて、愛唱する薩摩琵琶歌の歌詞中から、


採用されたと伝えられています。

 

  余談になりますが、


  私は鹿児島に10年近くも暮らしていたことがあります。 


  その時のパートナーが、

 

  その後島津家ご当主とのご縁を頂いたことから、


  今でも武(もののふ)の心として、


  示現流の剣と共に「薩摩琵琶」を修めるのが必須と


  大事に伝えられていることを知りました。


  まことに薩摩琵琶だけは、鹿児島において、


  ただの歌舞音曲の範疇にはないのです。

 

 

 

さて、この大山の愛唱した薩摩琵琶歌「蓬莱山」は、


薩摩の武士(もののふ)たちが、目出度い時に謡うという、


特別の琵琶歌でありました。

 


薩摩琵琶歌「蓬莱山」


めでたやな 


君が恵みは久方の 光り長閑き春の日に


不老門を立出で 四方の景色を詠むれば


峰の小松に雛鶴棲みて 谷の小川に亀遊ぶ


君が代は千代に八千代に


さざれ石の、巌となりて苔のむすまで・・・


      (中略)
 

 

・・・かほと治まる御代なれば 


千草萬木花咲実のり 五穀は國にみちみちて 


上には金殿桜閣甍をならべ


下には民の竈賑ひて賑ひて


仁義正しき御代の春


蓬莱山とは是とかや


君が代の千とせの松も常盤色


かはらぬ御代のためしには、


天長地久と、国も豊に治まりて


弓は袋に 剣は箱に蔵め置く・・・略

 

 

このように、この謡の「君」とは君主のことで、


治世の豊かさを讚える寿ぎ歌であったのです。

 


さて「君が代」のいちばん古いと思われる元歌は、


一般的には古今集とされていて、


その句は「我が君」で始まる故に、


自分の直接の主君や、親しい友、あるいは家族のことであって、


天皇さまのことではないという説も出回っている昨今です。

けれども、それよりも古い和歌があったことは、


まったく知られておりません。


先代旧事本紀(大成経)巻六十二 詠歌本紀 
 下巻第五祝歌属文

 

金刺宮御宇 天皇治世而大政


 きんめいてんのうのみよ


 てんのうのまつりごとはおおいにおさまりて

 

不下先皇 兆民悦之 祝世而謡之


 さきつみかどにおとらず


 おおみたからこれをよろこび


 よをいわいてこれをうたう


君之代者千代于八千代于


 きみがよは ちよにやちよに

 

微小砂石之盤巌興成而苔之結迄


 さざれいしのいわおとなりて


 こけのむすまで

 

時人
 ときのひと


継体天皇さまのご嫡子で第29代の欽明さまです。


さきつみかどは、庶兄の28代宣化天皇さまです。


天皇さまの御代への祝い歌に間違いありません。

 

私見ですが、この読み下し文がどうも気に入りません。


表面の意味しか伝わってこないのですよね・・・。

 

この時代はいうまでもなく漢字時代になっているわけで、


この原文は和漢文なのですね。


ですから、使ってある漢字の意味をもっと考えて訳さないと、


本来の意味が伝わってこないような気が致します。

 

その意味から、


次の五十嵐氏の解説はとても興味深いものがあるので、


要約ですが、ご紹介いたしましょう。



「君之代者千代于八千代于」の句節は、


それぞれ、「現在・過去・未来」を表し、


三世の生命の働きが秘められている。


「君之代」は今上天皇の御世、すなわち現在を指している。


そして現在とは必ず、


千年もの過去と、八方に広がってゆくような未来を含んでいる。


あるいはこの「八」の字は「弥栄」に通じている語句とも思える。


「弥栄なる千年もの未来」という意であるかも知れない。


このように、日本人の魂には深遠なる生命哲学が


自ずから宿されているのである。

 

「微小砂石之盤巌興成」の句節は、


「国民と天皇の結びつき」 を表している。


もちろん「微小な砂石」とは民のことであり、


「巌」とは天皇を意味し、


そして「興成」では、 この両者(の心)が固く一つに結ばれて


「盤」と成り興る。

 

「苔之結迄」は、「我々の命が無くなるまで(結ぶ)」という


決意を指していて、このような君と民の結びつきは、


「死して亡骸に苔が生じ、草が生じ、土に還ってまでも」


と、伝えているのである。▲

 

( 参照 『国歌 君が代のルーツ』  五十嵐楠央司  リーブル )

 


五十嵐氏は、この祝い歌の底に流れているもの、


当時の天皇さまと民たちの心の繋がりを、説明しておられるのですね。


それはヲシテ時代以後、連綿と現代にも続いているわけで。

 

歌の表面の意味と、


底に流れる、古来からの日本の心、


それはまったく当たり前の常識のようなものでありました。

 

 

 

カカンナス ハルノヒトシク

 

メクリキテ イソノマサコハ

 

イワトナル         

      (ホツマツタヱ 0-22)


 

 

ホツマツタヱの序文の中の「ハナノソヱウタ」の一部に、


まるで、源泉のようなコトハが記されています。

 

小さな砂粒のようなヒトヒトが、


キミの立たれているヨの中で時間経過することで、


互いに集まり、助け合う社会を形成していく様子。


それもイワと呼ばれる。


当時は、社会、人間、自然をとりたてて分けては考えていないように


思われる・・・との解釈があります。

 

キミはタミを慈しみ、タミはキミをお慕いする。


心は睦みあい、一つとなり、クニの平和は保たれる。


建国の太古の時から、当代の御世、そして未来永劫にわたるまで。

 

キミとタミの固く結びついたこのカタチが、


きっとクニと表現されるものではないでしょうか。


そして、それを守るためには


苔むすカバネとなることも厭いはしない・・・

 

『君が代」は、


そのような高貴な日本人のアイデンティティをこめた、


祝い歌だったのですね☆

 


最後に


この最古の「君が代」の出典文献の


先代旧事本紀(大成経)について、故・松本善之助先生が


その著書『秘められた日本古代史』の中に述べられておりますので、


追記しておきましょう。

 


寛文年間(1666頃)、


僧潮音と伊勢伊雑宮の神官、永野采女が出版した大成経七十二巻には、


非常な興味を覚えました。


その聖皇本紀(第三十六巻)の用明天皇条では、


ホツマツタヱがいかにして漢訳されたかという検証として、


注目すべき記述があり、


また、欽明、敏達、用明、推古の各天皇の条と、


書紀のそれとを比較してみると、


この部分について大成経は、


書紀の原本ではなかったかとさえ思われる節があります。

 

その他、詠歌本紀(第六十一巻)には、


他のいずれの古典にも載せられていない七代孝霊天皇の御製があります。


これはホツマツタヱから流れたと思われるのですが、


その道筋がどうだったか、この解明にはとても興味が持てます。

 

また、大成経の出版は、上述のように徳川初期ではありますが、


かつて河野省三博士がこの書の材料について、


「その源流は、もう少し遠く深い処まで


 漕ぎ上がる必要を感じてやまないのである」


       (同博士著『旧事大成経に関する研究』より)


と言われましたが、

 

私は同博士の思われるより遥かに古く、


聖徳太子の頃まで溯り得るものではなかろうかと思っています。

 

私にとって、推古紀28年12月(629)の、


天皇紀、国紀収録の記事は


ホツマツタヱを漢訳した部分を含むものとして


ゆるがせにはできない条なのですが、


この「記録」と、先代旧事本紀(794)と大成経との関係には、


特別の関心があります。

 

ホツマツタヱそのものが、


いかにして他の文書に受け継がれてきたかという


伝来の問題に注意を払う者として、


この事に鈍感でいられるはずがないからです。▲

 

 


もうひとつ真名の「日本巡礼」には、


ホツマツタヱと先代旧事本紀と記紀の位置について


論じた記事がありますので、興味のある方は読んでみて下

さいませ。


http://blog.goo.ne.jp/manasanda/e/cc9af1ddab390087f4935e690063f3a7


例 アチヒコさま(思兼命)に関する記事の結論


○ ヲシテ文献から、大部分の記載が翻訳漏れした上で
  

     先代旧事本紀につながります。

 

○ その上で、すべての記載が日本書紀、古事記から翻訳漏れします。

 

○ 古語拾遺に断片、残欠が残留します。

 

上に書いた二段階の翻訳漏れの理由も、推定できます。

 

先代旧事本紀の問題の記載は、


神話的人物」あるいみ「神々」を


「日本列島の実在の家系や場所」に連結するキーポイントになっています。

 

思兼命は、ヲシテ文献では明晰な人物像があり、


各地に事跡を具体的に残しており、


アチの地で入寂した(人間)です。

 

先代旧事本紀では、人物像はかなり曇ってきますが、


その子孫が信濃の阿智の地で繁栄しているわけです。


つまり「神様」ではなく、


「実在の人間」であることがわかるわけです。

 

先代旧事本紀のこの重要部分が、なぜ日本書紀・古事記にないのか?

 

 

それは、思兼命が、天上で活躍する神話的人物であるために、


それを列島の実際の地名や人々と、


結合したくなかったからに違いありません。

 

ここに、日本書紀(の前半部)、および古事記の編集意図が、


   「神話と歴史との分離」


   「神の導入」


にあったことが推定できます。

 

こう考えない限り、


古事記、日本書紀における阿智への無視を説明することは困難です。▲

 

 

 

 

以上、全文転記

 

 

キミはタミを慈しみ、

 

タミはキミをお慕いする。

 

 

心は睦みあい一つとなり、

 

共に楽しく助け合い、

 

そしてクニの平和は健やかに保たれていく。

 

 

建国の太古の時から、当代の御世、

 

そして未来永劫にわたるまで。


キミとタミの固く結びついたこのカタチが、

 

きっとクニと表現されるものではないでしょうか。

 

そして、それを守るためには

 

苔むすカバネとなることも厭いはしない・・・

 

 

「君が代」は

 

そのような高貴な日本人のアイデンティティが込められた

 

祝い歌であった・・。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

何故かはわからないけれど、日本国民が皇室を敬う理由がここにありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

加筆、修正を重ねております。

 

 

    

    初掲 平成20年5月5日 

    端午の節句に際し、悠仁親王殿下のご成長をお慶び申し上げて   

 

    

    再掲 平成21年9月6日

    悠仁親王殿下の三歳のお誕生日を寿ぎ 


 

カテゴリ: 本・アート  > アート    フォルダ: 国旗・国歌

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コメント(19)

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2008/05/05 18:19

Commented by beace さん

>このように、ヲシテ文献には、「キミガ」という文言が多く載っています。
>キミとは特別な貴い御方を指すコトハです。

少し言葉が足りなかったようです。
「キミ」は正式には、
アマカミ(古代の天皇さま)、あるいは御位を継ぐ可能性のある皇子などの成人後の尊称に使われたようです。

ハラヲキミ→ニニキネさまが成人なされ宮を持たれてから
アスカヲキミ→アスカのホノアカリさまが成人後、宮を持たれてから
このお二人のキミは共に11代アマカミとなられました。

他には皇統の貴いお血筋を表すサルタヒコさまの「ツチギミ」
この方は、ことある時には日嗣となられることをアマテルさまに遺言されて、別のミクサタカラ(三種神器)を授けられたお方です。
別名、カクラヲノコノキミ。

そして絶対にトミ、タミは「キミ」にはなれなかったのです。

 
 

2008/05/05 19:23

Commented by beace さん

ことさま

余談の続きですが。

薩摩琵琶を現代でお習いするのは大変なようです。
決して、誰にでもは許されないみたいで・・・

わが親友(パートナー)は、もとギタリストであったので、
「薩摩琵琶」に興味を魅かれて習いたいと思ったそうです。
島津さまのお返事は、
まず「もののふ」であると認められなくてはならない、と。

しかし心許す間柄になったことであるし、
まずは基本として「示現」の稽古をし、身体ができてきた後ならば・・・!?

このエピソードは、とてもヲシテ的で面白いと思いました。
示現流で身体を整え、生死の覚悟を肝に据え、
そして琵琶の音にて、さらに心、魂を深めていく。

それが、薩摩隼人のあり方なのでしょうね?
ちなみに彼は今、示現流の稽古に通い始めました☆

 
 

2008/05/05 19:39

Commented by こと まとか さん

びーちぇさま 

「キミ」について、付け加えさせていただきました。

「君が代」にこのように高貴な意味があったとは・・、
日本はとてつもなく素晴らしい国なのですね!
よくぞ日本に生まれたり・・!と思いました。

この度はまことに貴重なお話をありがとうございます。

また、よろしくお願いいたします。^^

 
 

2008/05/05 19:40

Commented by beace さん

そうそう特殊な「キミ」の例がありました。
なんと、
「ミコトノリ タイハ ウオキミ」 ホ25-36

12代アマキミになられたホオデミさまが、釣り針を取り返してくれた魚の鯛に送られた尊称なのです!!

それ以後、鯛は魚の頂点の位にあるものとなったのです。
ね、今でもそうでしょ? 笑)

 
 

2008/05/05 19:49

Commented by こと まとか さん

びーちぇさま

余談の続き・・も、おもしろいです。^^

琵琶と「もののふ」・・

「薩摩琵琶」って初めてお聞きするのですが
なんだかすごそうなんですねぇ^^;

どんな音か聞いてみたくなりました。さがしてきま~す。

 
 

2008/05/05 19:56

Commented by こと まとか さん

びーちぇさま

>タイハ ウオキミ 鯛は魚の頂点の位

ホオデミさまの時代に決められたことが、連綿と・・!笑)

日本は古代からずっと続いているのですね~
こんなところでも感動!

不思議に、ヲシテで学んだ時代の方が、例えば、聖徳太子の頃より
近くに感じられるんですけど、へんですか?^^

 
 

2008/05/05 21:05

Commented by beace さん

余談の余談?!

わが親友は、加治木島津家の十三代ご当主さまとご縁を得たようです。
薩摩琵琶の名手にて、宮司をなさるかたわら、
薩摩武士道の精神の継承を志し、
野太刀自顕流の修行に励んでおられるとのこと。
・・・うーん。
世が世なら、殿さま。
だから、本筋の薩摩琵琶のお話をなさったんですね。

この加治木薩摩家からの血筋が、
島津ご本家の斉興—斉彬—茂久(忠義)に繋がっているのだそうです。

 
 

2008/05/05 21:42

Commented by こと まとか さん

そうですか、お殿様と・・・うーん。

今年は「篤姫」が好評ですから注目されそうですね。

http://www.shimadzu-yoshihiro.or.jp/biwa.html
こちらに薩摩琵琶についても書いてありました。

>そもそも琵琶が日本に伝わったのは、おそらく仏教伝来のことであろうといわれている。

「カダガキ」は琵琶の原型ではないのですか?

 
 

2008/05/05 22:20

Commented by beace さん

ことさま

カタカキは・・・どうも和琴のご先祖さまのようです。
古墳時代にはなりますが、埴輪で琴をひざにのせているのがありますよね?ただもっと、簡素なものではあったでしょうが。

 
 

2008/05/05 23:43

Commented by こと まとか さん

和琴のご先祖さまですか。これですね。

http://gagaku.blog.ocn.ne.jp/gagaku/2007/01/post_359f.html
和琴とは雅楽の中で国風歌舞というジャンルに用いられる楽器です。箏とは構造も出自も奏法もまったく異なる楽器です。
他のほとんどの楽器が、大陸よりの伝来を起源としているのに対して、この楽器は純日本製の楽器であり、起源はとても古く、古墳時代の埴輪には和琴を演奏する人を形作ったものも出土しています。

 
 

2008/05/06 00:00

Commented by beace さん

ことさま

話は変りますが、以前に先帝陛下のお心について書いたことを思い出しました。

>ミはタミを慈しみ、タミはキミをお慕いする。
というテーマに合ったエピソードですので、
長くなりますが、転記いたします。

▼元、陛下の侍医であられた杉村昌雄さんが、著書「天皇さま お脈拝見」で、書かれておられる
陛下の科学者としてのご態度、暖かくお優しいお教えの数々が、思われます。

今上陛下も、もちろんのことです。
現代に至るまで、アマテルカミのお心はそのままご皇室に受け継がれているのだと、
本当に素晴らしく嬉しい思いになりました。


杉村さんはお役目柄、陛下のプライベートな採取旅行などにも同行されているのですが、
中学高校時代にはプランクトンの分類などに興味を持っていたので、また少し勉強しようと思いますと
申し上げたところ、大変お喜びになったそうです。

・・・「是非やってみるように。明日からでもやるように」とのおおせ。
しかも実行の手はずから用意についてまでご説明下さった。

・・・問題は3回目の時に起こった。
海水を採取し、それを管ビンに入れようとしたのだが、手元に管ビンがない。
みんな使ってしまったらしい。
ないのに気がついて、いささかあわてていると、あろうことか陛下ご自身が、
貯蔵庫から管ビンをお出しになって、それを私のところに、わざわざお持ち下さるではないか。
「さ、これを使うように」
私はあまりのことに、お答えする言葉も出てこない。
陛下は腰を曲げ、管ビンのふたまでおとりになって、
「さ、これに入れるのだよ」と、うながされる。
私は「全く恐縮でございますので、ご遠慮申し上げます」と、やっとの思いで、それだけを申し上げた。
すると陛下は微笑をお浮かべになりながら、
「まあ、いいじゃないか」と、重ねておうながしになる。
私は身のちぢむ思いで、
「では、お言葉のとおりにやらせていただきます」と申し上げてから、
陛下のお持ち下さる2本の管ビンに、採取した海水を分注したのである・・・
            (続く)

 
 

2008/05/06 00:02

Commented by beace さん

続き

その後のこと、
杉村さんがご診察にあがった夜に、プランクトンのスケッチを、お礼にでもお目にかけようと持っていらしたところ、興味深そうに眺めておられて、おっしゃるには
「私の手元に、杉村が調べていることに参考になりそうな書物があるから見なさい」と、仰せになって、お止めする暇も無く、お寝巻きのままで書庫から、4,5冊の本を探し出されて、
お手ずから渡されたとのことです。

これは、杉村さんだけではなく、誰にでもそういうご態度なのだとか。

・・・思うに陛下は、学びたいと思うものがいると、陛下というお立場を忘れ、
一所懸命ご指導下さるのである・・・

・・・侍従長が気がついて、
「聖上(おかみ)、ウミオハギがおります」と、申し上げた。
陛下は一瞬、怪訝なお顔をなさり、しばらくお考えになったあげく、おおせられるに、
「そう、イソアワモチね」
みんな大笑いである。オハギとアワモチーーどことなくにていて、意味が互いに通じる。
おそらく侍従長も、その昔、陛下からイソアワモチと教えていただいていたものを、うろおぼえのまま、
とっさのことにウミオハギと口をついて出てしまったのだろう。
ところが、一同、大笑いしたものの、ただお1人、
陛下だけはやはり、ニコリ、ともニヤリともなさらないのである。
いつもの、ご親切そうな口調で、
「イソアワモチね、立派なイソアワモチね。しかし、これは私の標本にはたくさんあるから、
早く逃がしてやるように」と、繰り返し繰り返しおっしゃられるだけなのである。
思うに陛下は、たとえ罪のない失敗であるにせよ、他人の失敗を笑うなどということは、
決してなさらない。
そういうお人柄なのである・・・

また、漁師さんなどがいると、かならず侍従にそっと「どうだ、みなの仕事の邪魔にならないか・・・」とお聞きになるとのことです。
杉村さんは、このような陛下のお人柄を何年にもわたって感じ取られ、
・・・(このような、日常の常に変わらない)ご配慮はただごとではない。
陛下のお慈しみは、(あらゆる人から)まさに禽獣草木にまでおよんでいるといってよいだろう・・・と述べられています。

 
 

2008/05/06 08:31

Commented by こと まとか さん

びーちぇさま 

これまた貴重なお話のご紹介ありがとうございます。
先帝陛下のお人柄がしみじみと伝わってまいります。
コメント欄でのご紹介だけではもったいないですね。
次の機会にエントリさせていただけたらと思います。

 
 

2009/09/22 17:59

Commented by nonbe さん

ことさま
びーちぇさんにこのページ紹介してもらいました。
我が日本の国柄、国体をもっとも簡潔に示した和歌だったのですね。納得。

のんべ

 
 

2009/09/23 11:01

Commented by こと まとか さん

のんべさん 

いらっしゃいませ。別館にようこそ^^

「32文字」にも意味がありまして、いつか書ければ・・・と思っております。




 
 

2009/09/23 15:00

Commented by umayado17 さん

「おもいやり」が成り立つ国

この大切な国を伝えるために、苔むすしかばねとなる
覚悟を持っている

そうあればこそ、ヤマトタケさんの決死行も、
また、カシマタチのカミイクサも、
また、アマテルさんのハタレウチも、
あったのでしょう。

「微小砂石之盤巌興成而苔之結迄」
「さざれいしの いわおとなりて こけのむすまで」

のところに感じる微妙な違和感を解きほぐしていただき、
ありがとうございます。

 
 

2009/09/24 08:18

Commented by こと まとか さん

うまやどさま おはようございます。

びーちぇさまが、さらに筆を加えられバージョンアップされた
「君が代の真実」決定版!です。

お預かりした記事を無事に再掲することができてありがたく思います。



「こけのむすまで」

「この箇所がいいんだよ。」と書いた若者のコメントがどこかにありました。
意味はわからないけれど、遺伝子の中の記憶が反応するのでしょうか。



 
 

2009/09/24 10:02

Commented by umayado17 さん

「海行かば」を思い出しました。

海行かば 水漬く屍     うみゆかば みづつくかばね
山行かば 草生す屍     やまゆかば くさむすかばね
大君の 辺にこそ死なめ   おおきみの へにこそしなめ
かへり見はせじ       かへりみはせじ

この元のうたは、この部分だけが取り上げられ、戦意高揚に
使われたのですが、元々は、

『万葉集』巻十八「賀陸奥国出金詔書歌 です。

これを詠むと、なぜこの歌に到ったのか、そこに込められている
覚悟と志がひしひしと伝わってきます。

五七調がくずれてしまっていますので、仮訳ですが、
詠み直しをしてみました。
   http://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/59719547.html
  

 
 

2009/09/24 23:06

Commented by こと まとか さん

うまやどさま 

TBありがとうございます。じっくりと読ませていただきます。


>「海行かば」を思い出しました。

そうなんですね。同じく、日本人の拠って立つところを感じるものです。

実を申しますと、びーちぇさまに、君が代の真実を教えていただいた頃
「海行かば」についても教えていただいておりました。
びーちぇさまのご許可をいただければ当時教えていただいた内容を
エントリさせていただこうと考えております。


 
 
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2009/09/26 23:12

「海行かば」の詠み直し [オノコロ こころ定めて]

 

  ことまどかさんの「[http://matoca-8000.iza.ne.jp/blog/entry/564741/ 君が代の真実]」を読んで、 君が代に込められた、互いの恵みと睦み の確かさと、 そして 静かな覚悟 を感じることができました。 …

 

2009/09/24 10:02

「海行かば」の詠み直し [オノコロ こころ定めて]

 

  ことまどかさんの「[http://matoca-8000.iza.ne.jp/blog/entry/564741/ 君が代の真実]」を詠んで、 君が代に込められた、互いの恵みと睦みの確かさと、 そして静かな覚悟を感じることができました。 この…

 

2009/09/23 19:27

秋篠若宮親王殿下 お誕生日おめでとうございます [オノコロ こころ定めて]

 

  一日遅れですが・・・ 昨日は、秋篠宮の若宮さま 悠仁(ひさひと) 親王殿下の 三歳の誕生日でありました。 改めまして、   お祝いを申し上げます。 ワカギミを支えるには、申し訳ないような国…

 

2009/09/07 00:00

両陛下のプレゼント「アマガツ」 改訂版 [びーちぇの「ヲシテのクニ」]

 

               ご懐妊発表の日に開花した秋篠宮殿下お手植えの蘭「プ