(観音崎灯台より木更津方面を望む)
『古事記・日本書紀によれば
日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国征伐のおり、
走水から上総(千葉)へ船で渡ろうとした時、
海が荒れて進めず弟橘媛(おとたちばなひめ)は
海神の怒りを静めるために身を投じ荒れ狂う海を鎮めました。』
海神の怒りを静めるために荒れ狂う海に身を投じた・・・
と、伝わる弟橘姫ですが、
ヲシテ文献では全く違います。
びーちぇさまの「ヲシテのクニ」アーカイブより、記事を転載させていただきます。
続「まごころ」ヤマトタケさまと ヲトタチバナヒメ その2
こちらの記事は、現在、掲載されておりませんことをご承知ください。
記紀が隠した歴史の真実
ヲシテ文献だけが伝える
「日本武尊」東征の真実
~ヲトタチハナ姫の祈り~
(大磯 照ヶ崎海岸)
以下、全文引用。
初戦に勝利なさったヤマトタケさまは、
大磯から上総へと軍船を仕立てられたのですが、
折悪しく、大風に舟は危ういさまとなりました。
その時、ヲトタチバナヒメは(おそらく)辞世のウタをウタミに染められた後、
舟の舳先へ登り立ち、アメツチに祈って、
背の君のイヅ(稜威)をヤマト(この場合は全国か?)に立てるため、
タツとなって舟を守りますと宣言され、止める間もなく荒海に入水なさいました。
皆は驚いて、ヒメの姿を探したのですが、見つけることはできませんでした。
しかし・・・波はみるまに凪いで、軍船は無事に港に着いたのです。
「タツ」は、古来富士山の噴火を鎮め、火や炎の害から人を守るとされていたのですが、
また日嗣の皇子を守り助ける不思議を起こしてきた、自然の力の象徴なのです。
「タツタカミ」「タツキミ」とも呼ばれ、貴いものとされてきました。
古くカミノヨ(祖先の世)では、「タツ」の住むという、富士山のコノシロイケで、
世継ぎを願うイサナキさまは、目を洗い、ミソギをなして、一心に祈られ、
お生まれになったのは、玉のような日嗣の皇子、アマテル(ワカヒト)さまでした。
(足柄峠より)
またニニキネさまの3人の皇子とコノハナサクヤヒメを救ったのも、
コノシロイケから飛んできたタツであったのです。
この三人の皇子のお一人が、後の11代アマカミ・ホホデミさま。
そして、その妃との仲が危うくなった時に、御父ニニキネさまは
「タツキミ」のミイキのオシエをもって、妃(トヨタマヒメ)のお悩み・・・
内気なゆえの誤解を解消なさいました。
また、今回もキミの火水(ヒ・ミツ)の祈りによって、
コノシロイケのタツが、豪雨をふらせ、小野の城の猛火を消したのです!
(矢倉岳山頂より大山を望む)
ならば、自分がカミアガリをなし、その「タツタカミ」になって、
背の君のなすべきことを守りお助けしたい。
ヲトタチバナヒメのご決心は、まことに強く、
「トヨケノリ」で「カミアガリ」されることと、大変良く似ていると私は思います。
「トヨケノリ」とは、死期をさとった御方が、
みずから穴の中にはいり、入り口をふさぎ、祈りのうちに亡くなられることです。
その祈りは、絶対的な効果をもたらすものでありました。
最初のお方はアマテルカミ、
そして三輪山で拝領のサカホコと共に、死んだ後も国を護らんと穴にはいられ、
カミアガリなされた2代オオモノヌシ・クシヒコさま。
ニニキネさまも、そうでいらしたかしら?
(大磯 照ヶ崎海岸)
ヲトタチバナさまは、洞穴に入って死を待たれたのではないけれど、
ご自分の強い意志で、祈りのうちに海底に沈み身罷られた。
それは決して、記紀のいうように、
海神の怒りを鎮める為に、生け贄として身を捧げられたのではなかったのです。
それほど、ヤマトタケさまの決死のお仕事の、深い意味を理解されていた。
それは、お命を救わんとして、あるいは身代わりとして・・・とは、
書かれていないので分かります。
「わがキミの イヅをヤマトにたてんとす」
そのキミのために「タツ」となって舟を守り、軍を無事に送り届けると。
そう、イモヲセ(夫婦)の「まごころ」の極致を見るような気が致します。
ヲトタチバナヒメは、この時、タケさまと共に戦う武人ともなられた。
女性にとっては、連れ添う人が望んでいることを実現させることや、
また命がけで取り組んでいる仕事の成功こそが、自分の生きる目的であるのですから。
(木更津 吾妻神社)
それはきっとサガムのオノの城攻めの後、悟られたことであったのではないでしょうか。
数々の戦いは見事に朝廷側の勝利となりましたし、
ヒタカミのミチノクのキミも使者の説得に応じられ、
朝廷のご意思を心から納得され、従われることとなりました。
ここに「ヤマトクニ・ヒノモト」の全国統一が見事に実現しました。
(木更津)
戦いすんで・・・
タケさまは、帰途のウスヰの坂でヒメのまごころを思い、
入水された東南(キサ)の方を望んで、
辞世のウタを書かれたウタミ(短冊のようなもの)を取りいだして、
声をあげて三度お詠みになり、わが妻よ、ああ・・・と嘆かれました。
これにより、この地方をアヅマと呼ぶようになったのです。
さねさねし サガムのおのに
もゆるひの ホナカにタチテ
トヒシキミはも
サネサネし・・・長い年月を、信じあい睦まじかったお2人。
お子さまにも恵まれ、6人もの皇子がいらっしゃいました。
そのお二人のお心の純粋さ、清らかさを表すサネ。
サは、明るく潤おって、清らかなこと
ネは、心の根っこ、根本。
しかしまたサは南、ネは北の意味を持ち、タケさまが命を下し、
城の南北から救出の部隊を城へと向かわせたこともありますし、
また、これらの意味をみな含んでいるとも考えられます。
サガムのオノに・・・相模の小野はヲトタチバナさまの母上、
ハナタチハナさまのご実家なのです。
ここでだけ「ガ」と、悪い意味であることが示されています。
でも、通常は「サカム」という地名なので、
そこが今「汚されている」ということが判るのです。
キミは、なんと(トノヲシテにそった)清らかなお心であったことか。
あのエミシが汚していた相模の小野で
敵が燃やした焔の中に、凛然とお立ちになり
(身の危険も忘れて)他のものの安否を問われていた、我が背の君よ。
(木更津市きみさらずタワー)
一般的な男女の愛を超えて、このおウタの清々しくご立派なこと。
我がキミにならい、私もできることを致します・・・
ヲトタチバナヒメは、そのようなお気持ちであられたのではないでしょうか。
信じあい共に生きられたお二人の「まごころ」が
本当に伝わって参りますね?
以上、
全文、びーちぇさまのヲシテのクニ
続「まごころ」ヤマトタケさまと ヲトタチバナヒメ その2
より、引用させていただきました。
現在、書き直しのため掲載されておられません。
伝統その2 「古代における女性の尊さ・皇位継承」改訂版 ご覧ください。
【おうちラジオ】 ヲシテはどうして生まれたのか?
古大和言葉の誕生ものがたり。
http://zaigainihonjin.iku4.com/Entry/38/











(草薙神社)





























by こと まとか
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